チサタイムラー

世の中の疑問や謎を感じたままを綴る

【女流四冠達成の日】

 

本日、7月1日は
1996年に女流棋士・清水市代さんが
女流名人・女流王位・倉敷藤花・女流王将を独占し、
史上初めて女流四冠に輝いた日です。


ここで疑問に思うことは、
『女流』という名称。


将棋の八大タイトル戦にない「倉敷藤花」以外は、
いやらしいくらいに『女流』の冠名がつき、
なんとなく差別的なニュアンスに捉えがちです。


そもそも格闘技などと違い
生まれつきの体力差は関係ないジャンルなだけに、
将棋愛好家や将棋ファン以外の方には
何故区別されているのか分からないかと思われます。



将棋は『知能戦』



本来、能力差に男女差はないはずです。


それなのに
女性プロがいない現状はなぜなのでしょう。

 

 

【棋士とは何か】

 

まず誤解しがちなのは
「プロ」という名称です。

実は日本将棋連盟の規定に
男女問わず「プロ」という肩書は存在しません。


おそらく「プロ」の肩書は、
将棋愛好家やメディアが、
アマチュアの段位と区別するために、
つけただけだと思われます。


本来の肩書は「棋士」


実力が認められた
奨励会の会員メンバーによる
三段リーグを勝ち抜いた会員だけが
名乗れる称号です。


つまり三段リーグを勝ち抜き
四段に到達した会員のみを
メディア的には「プロ棋士」と名付けて
アマチュア有段者と区別しているのです。

 

 

【女性は四段になれないのか】

 

もちろんそんなことはありません。

日本将棋連盟の規定に従っていれば
女性でも「棋士」の称号、「四段位」が得られます。


現に2019年現在、
三段リーグには西山朋佳三段が在籍しており、
四段を目指して精進しています。


しかし未だかつて
三段リーグに入れた女性数も少なく、
ましてや三段リーグを勝ち抜けた女性はいません。


一般的に
将棋愛好家とプロと呼ばれる棋士との差は、

「いかに過去の棋譜を暗記しているか」

の差だと言われています。



棋士の暗記力は凄まじく、
その日に差した指し手だけではなく、
過去の自分の指し手を全て暗記しているどころか
対戦相手の過去の棋譜すら暗唱できるほどです。



つまり暗記勝負。



この暗記が最低限のハードルで
その上で実力が試されるのです。



ここで疑問に感じるのは

「暗記なら女性でも差はないのでは?」

ということです。



実際東大の合格率や、
女性の研究者のレベルは
男性と変わらないどころか
凌駕することさえあります。


なのに何故
将棋では女性が躍進できないのでしょうか。

 

 

【お手本にできる棋譜】

 

「実力差があるから」 


こう言ってしまっては元も子もありませんが、 
現実の対局を見てみる限りは
 残念ながらその棋譜が物語っています。 


棋譜とは対局の手筋を
落とし込んだ記録書面。


それを見れば
対局の様子が分かる対戦の履歴書です。


ただし 誤解のないように言っておきますが 
決して「弱いから」という意味ではありません。 


あくまで トップ同士の実力差です。


 女流棋士の指し手、 
いわゆる「棋譜」を見ていくと 
まさに

「お手本のような美しい棋譜」

が浮かび上がります。 




将棋学校があるならば 
教科書として採用できるものです。 


一般の将棋愛好家や将棋ファンレベルなら 
そのまんまマネしたい手筋です。

 

 

【棋士の指し手は芸術】

 

一方、棋士の指し手を見てみると、
「さすがはプロ!」と感嘆する一手が飛び出たり、
アマチュアでは理解に苦しむ一手が指されたりと、
解説者なしでは全く不明な手が出現します。



しかしどの手でも数手後には

「その一手があったからこの局面になった」

と、思える場面に出くわします。



それは教科書にない応用系。

かと言って、
勝てば何でもよいという雑な指し手ではなく、
最後まで美しい軌道を描いた
作品そのものです。


つまり女流の指し手が
教科書に沿った完成度の高い
「お手本作品」だとすると、

棋士の指し手は、
オリジナル性に優れた展覧会用の
「芸術作品」と言えます。

 

 

【女流では芸術作品は作れないのか】

 

作れるか作れないかで言うと、
結論的には『作れます』


しかし、現時点では
かなり困難極まりないと感じます。



なぜなら
女流と棋士の決定的な差は、



「安全」と「安定」です。



これは生物学的な観点が
加わるかもしれません。


というのは、
文明が発達する以前の人間社会では、

危険な狩りは男性が請負い
子孫を守るのは女性が請け負っていた

事実があるからです。



棋士の棋譜を見てみると、
勝負を左右する局面で
想像を超えた一手が繰り出されることが多々あります。


それは棋士たちの
日頃から積み重ねた
努力による研究成果でもありますが、

私からすると
その手を思い浮かべるに至った過程すら
想像できません。



恐らく女流棋士の場合は、
いざという場面でこそ、
「安全」と「安定」的な一手を
指しているような気がします。

 

  

【女流が棋士になるためには】

 

かつて
芸術家の故・岡本太郎氏は、
「芸術は爆発だ」
と叫んでいました。


もちろん本当に爆発させてしまったら
芸術作品ではなく
ただの「ガラクタ」です。


しかしこれこそが
本瑞のような気がします。


女流が棋士になるためには、
お手本作品を
ぶち壊してもよいのではないかと感じます。


もしかしたら
後世の笑いものになる棋譜が
できるかもしれません。


つまりガラクタです。



当然、そのような棋譜は
棋士の間では受け入れられないでしょう。


将棋愛好家からも
嘲笑されるかもしれません。


しかしそれくらい
覚悟のある一手を差さない限り、
棋士には追いつけない気がします。


女流の方々の
勇気ある一手に期待し、
そして四段昇格者が出てくることを
楽しみにしています。
 

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