チサタイムラー

世の中の疑問や謎を感じたままを綴る

【藤井2冠の強さとは】

8月20日、将棋の藤井聡太棋聖が木村王位を降して

史上最年少のタイトル2冠ホルダーに輝いた。

しかも加藤一二三氏の保有する

8段昇段記録を62年ぶりに塗り替えるおまけつきだ。

 

基本的に8段昇段の平均年齢は47歳くらいと言われているので

18歳という若さでの昇段は驚異というほかない。

 

でも、なぜこんなに藤井2冠は強いのか。

 

決して他の棋士が弱くなった訳でも

手を抜き始めた訳でもない。

 

現役棋士にはまだ光速流と言われた谷川浩司九段や

永世七冠で国民栄誉賞の羽生善治九段、

将棋連盟の役員として多忙を極める森内俊之九段と佐藤康光九段、

現役最強と誉れ高い渡辺明3冠、

そして豊島将之竜王、永瀬拓矢2冠などの若手世代の大頭も著しい。

 

このような群雄割拠の中、

ポッと出の新人が棋界を支配しようとしているのは、

まさに戦国の世に突如現れた新星・織田信長のようなもの。

 

ではなぜ藤井2冠はこんなにも棋界で躍進できるのか。

昭和以降の将棋史を振り返って考察したいと思う。

 

【大山時代】

大山康晴十五世名人が台頭した時代。

基本的には江戸時代から受け継がれてた棋譜に変化が現れ、

近代将棋の幕開けになった時代ともいえる。

 

よって、この頃の将棋はというと、

過去を完全に捨て去るのではなく、アレンジ性が高い棋譜が目立つ。

 

代表的なものは「舛田式石田流」など、

江戸の世から普遍だった戦法をさらに攻撃的に磨きぬいたものなど、

今でも通用する仕掛けが多い。 

 

このような戦法や棋譜を創造しえたのも

大山の終生のライバルといわれた舛田幸三がいたからこそ。

受けの大山に対して、攻めの舛田という構造が

近代将棋を開花させていったと感じる。

 

そして同時に棋界に登場し始めた

加藤一二三、内藤國雄、二上達也などの若手集団。

 

彼らの出現により

近代将棋はさらに深みを増す時代へと入っていく。

 

【中原時代】

魑魅魍魎(ちみもうりょう)という言葉があるが

将棋史の中でこの言葉がしっくりくるのはこの時代をおいて他にない。

 

突如現れた新星・中原誠十六世名人。

自然流と呼称された棋風と本格的な居飛車で

タイトル通算64期を獲得した大棋士だ。

 

この時代は未だに大山、舛田などのベテランが君臨し、

「ひふみん」の愛称で有名な加藤一二三氏、

人格者の米長邦雄氏や

加藤以来の中学生棋士・谷川浩司九段が成り物入りで加入した時代だ。

 

この頃の将棋は、攻撃的な戦法よりも守備的な戦法に重きが置かれ

「矢倉」「美濃囲い」「穴熊」などが発達。

守備の大山の後を継いだように陣形を整えて戦いを挑む戦法が流行した。

 

棋士たちの実力はほぼ五分。

技を磨き合う長き時代の幕開けだった。

 

【谷川時代】

中学生棋士として超新星のごとく棋界入りした谷川浩司九段。

「高速流」という枕詞が示す通り、終盤の追い込みに定評のある棋士だ。 

 

この頃になると並みいるベテラン棋士たちを

谷川九段が打ち砕いていく印象が強い。

まさにひとり横綱時代だ。

 

実際、現時点で17世名人の資格を保有し、

通算タイトル獲得数27期は、歴代4位

 

この頃の将棋は、攻めと守りのバランスが取れたものが多く、

「この攻めにはこの守り」「このカタチにはこの流れ」というように、

棋譜がほぼフォーマット化され、局面が似通うものが多く存在した。

 

つまり、将棋として「完成」された時代とも言える。

 

全ての棋士は完成された棋譜を

さらに芸術の域に高めることこそが棋士としての使命なのではないかと

思うくらいに芸術的な世界を広めた時代だった。

 

しかしこの時代は長くは続かなかった。

 

この直後、将棋史にとどまらず、

世界のボードゲーム史を塗り替える棋士が登場するからだ。

 

【羽生世代】

この時代はまだ終焉していないので「世代」という言葉に置き換える。

史上3人目の中学生棋士として棋界に登場した羽生善治九段。

 

現時点で名人を含む永世称号を7つも獲得し、

通算タイトル数は99期。

棋界初めての7タイトル同時獲得と国民栄誉賞に輝いた

国民的大スターだ。

 

この羽生九段が生まれた1970年前後はまさに黄金期。

 

将棋連盟会長の佐藤康光九段や副会長の森内俊之九段をはじめ

丸山忠久九段、藤井猛九段、郷田真隆九段、先崎学九段、

早世した村山聖氏など、今でも上位に名を連ねる強者ぞろいだ。

 

そして80年代中盤より一般家庭にも導入しはじめた

パーソナルコンピューター、いわゆる「パソコン」が

この羽生世代を作り上げるきっかけになったことも見逃せない。

 

谷川時代までの棋士たちは

棋譜係が記録した「棋譜」だけが唯一の情報源だった。

棋士たちはその棋譜を書き写し、暗記し、盤上に並べる、

この繰り返しで将棋知識を取り入れていた。

 

ところが羽生九段はいち早く棋界にパソコンを導入。

気になる棋譜をパソコンに打ち込むという行動に出たのだった。

 

この手法が現在の将棋界の主流になるとは

この時には誰も思いも寄せなかっただろう。

 

現にパソコンによる将棋の勉強は効果的で効率的だった。

 

棋譜上で気になる個所が指先ひとつで再現できるのだから、

手で並べるより時間的メリットが高い。

特に棋士ともなれば1分もあれば20手は思いつくという。

ベテラン棋士たちが5分かかって並べる棋譜を

1秒で再現できるのだから研究の時間が違いすぎる。

 

この時代の棋風はまさに研究のたまもの。

 

過去の偉人たちが作り上げた戦法を穿ちあげ

藤井システムやごきげん流などの

これまでタブーと言われた奇抜な戦法が編み出された。

 

そしてこの時代の終焉はまだ来ていない。

 

【藤井2冠の強さ】

さて、ここで本題に入りたい。

藤井2冠の強さとは何なのか。

 

実際のところ藤井聡太2冠以外にも羽生世代を脅かす存在はかなり多い。

 

渡辺明3冠などはその筆頭であり、

時代が時代なら谷川九段のようにひとり横綱を張っていた人物だともいえる。

ちなみに渡辺3冠は史上4人目の中学生棋士。

通算タイトル獲得数は26期で歴代5位。

 

しかし、渡辺3冠の不運はすぐ上に羽生世代、

そしてすぐ下に 豊島将之竜王、永瀬拓矢2冠 などが追い上げてきており、

その間に挟まれている状態だ。

 

そして息をつく余裕もなく棋界に旋風を巻き起こしている藤井2冠の台頭。

渡辺時代を幕開けさせる暇がなくなってしまっている。

 

その渡辺時代の到来を阻む藤井2冠の強さだが、

一言で言うと「感情のないコンピューターそのもの」と言わざるをえない。

 

これまでの彼の指し手を紐解いていくと

一般的な棋士なら迷い、悩み、苦悩し、苦痛を感じる手筋を

指してしまうところに恐怖を感じる。

 

かつてこのような迷いの場面に出くわした時、

舛田幸三氏は独り言や直接対話を持ち掛ける「盤外作戦」を講じ、

相手の心理に訴えかける戦略で勝負を仕掛けていた。

 

これは決して卑怯な戦法ではなく、

人間らしいものとして評価されているし、私もそう思う。

 

しかし藤井2冠の場合はどうであろう。

 

彼の手筋には人間らしさが感じられない。

いうなれば「コンピューターそのもの」

 

特に今回一連のタイトル戦の中でも、

芸術的な棋譜を残したいという棋士だったら

到底、指さないような手を次々と繰り出している。

 

確かに棋界は勝ってなんぼの世界である。

どのような手でも勝てば官軍であるが、

藤井システムやごきげん流のように

素人将棋ファンが参考にできない手は少し悲しい。

 

これまでの棋士たちの一手には、

その先に広がる美しい世界(棋譜)があった。

 

その美しい世界が実現した時、

私たち素人将棋ファンは、プロという芸術に感動していたのだ。 

 

だからと言って藤井2冠の指し手が芸術的ではないというわけではない。

 

先日の封じ手後の「8七同飛成」などは、後世の作品になるかもしれない。

 

しかし、美しい世界が広がらなかったことは悲しい。 

 

何故ならこれまでの藤井2冠の手筋は、

1手先の世界しか見させてもらえなかったからだ。

 

これはAI特有の思考が招いた弊害ともいえる。

 

点数制のAI将棋の場合、

1手先の最善手にどうしても計算が行ってしまうからだ。

 

もし、今後藤井2冠がさらに強い棋士を目指すのであれば、

人間的な感情を組み込んだ手筋による棋譜を残して欲しい。

 

後世に語り継がれるような棋譜の出現を心待ちにしている。

 

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